
09.12/13(日)
ダンス公演「師走の助走」
出演:東海林靖志、柴田智之、田仲ハル
音:Yoo Nakamura
@札幌市資料館
札幌市中央区大通西13丁目 011-251-0731
前売り予約1,500円 当日1,800円
開場/午後2時30分 開演/午後3時
予約メール
shiwasunojosou@gmail.com






09.12/13(sun)
@札幌市資料館
「師走の助走」
Adv.1,500 / Day.1,800
Open/14:30 Start/15:00
予約、お問い合わせ/shiwasunojosou@gmail.com

夜長、久し振りに土方巽の「夏の嵐」のDVDを棚から引っ張り出して観た。
25,6年前に、晩年の土方巽に会った。
中野の小屋の楽屋だった。
私はまだ19の少年で、当時の北方舞踏派の故南部さんとご挨拶に伺った。
土方巽は現役で踊る事を引退していた時期だったが、そのオーラは相当なもので、まだインターネットなど無い時代にあっても(むしろ無かったからこそ)噂が噂を呼び、話に尾ひれがくっついて、世間の中ではとんでもないバケモノという印象が膨れ上がっていたのだ。
かくて実際に会った土方巽は噂通りの人だった。
意外に身体が小さかったと記憶しているが、何人もの取り巻きに囲まれながらも、まるでその存在を隠すかのように氏の廻りだけが強烈に漆黒の闇に支配されていた記憶が鮮明にある。
流れ上、その場にいた全員が自己紹介をする運びとなって、先輩の南部さんがコチンコチンになって挨拶をしていた。
私は南部さんに連れて来られただけの坊主なので、場の雰囲気に萎縮してしまって、兄貴分である南部さん(当時30代前半)の背中の影にこっそり隠れていたのだ。自分は挨拶なんぞをする身分ですらないし、むしろ無視してくれえーと心の中で叫んで、コソコソしていた。
しかし土方巽は、たかが楽屋に迷い来んだ、そんな迷える少年を目ざとく見つけたかと思うと「.....あなたは?」と声をかけてきたのだった。
正直私は「ほら来た」「ああ、めんどくさいな」と思った。「見つかった」と思うと同時に、何だかとてもめんどくさそうな人なので、できれば無視して欲しかったのだ。私がしどろもどろになっていると、南部さんが慌てて私の頭をつかんでグイっと下げて、何やら紹介をした。
その日の出来事は、私の人生を変えてしまうには充分なインパクトがあった。
他にもよく分からないが、その場に著名な文化人が沢山いたような気がするが、私にはどうでも良いことで(そういう事に関心がない)他の誰のことも目に入らなかった。
ただ、部屋の片隅で猫背で黒いベレーをかぶり、ポツンと座っている小さくて黒いおっさん....その程度の印象なのに、私はこのおじさんに釘付けになってしまったのだ。
18.19.20才と青春時代の一番濃い時期に、他にも砂澤ビッキさんや各種の色々なアーティストの人達に会わせていただく機会もあった。いちいち名前をあげればキリがないので、めんどくさいから省く。
思春期にそういうホンモノの芸術家に会うという事は、こうなりたいとか憧憬の目で見るというより、むしろコンプレックスが増幅されるばかりで、全く正反対の方向へ行きたくなるものだ。(特に自分はあまのじゃくなので)
だから23才くらいからだろうか、そういう「アートの世界」に突如嫌悪を感じて、私は真っ当(?)な人間になろうと決意して、一切の関わりを止めたのだった。
モヒカンを普通の頭に戻しスーツを着込んで、やがて事業を起こし、経営に精を出し、過去を葬り去り、禁句のように「アート」という言葉を口に出すことすら止めた。ある出来事をきっかけに舞踏も大嫌いになった。それはある人の死に関わる問題だった。
やがて事業は成功し、金が面白いように儲かり、ぶくぶくと肥えた。若くして経営者となった私は絶好調で、不動産を複数持ち、ホテルの高級バーで酒を呑み、100m先へ行くのにもタクシーを呼びつけていた。それで良いと思っていたし、この先何があっても、もう二度とあんな世界にだけは戻るものかと思っていた。
あんな世界に戻るくらいなら、たとえぶくぶく肥えようが血糖値があがろうが贅沢病で死のうがその方がよほどマシと思った。それほどアートを憎んでいた時期だった。昔の仲間達が依然として青臭い芸術論を振りかざし「金がない」というのを聞くにつけ、「お前ら働かねーからだよヴァーカ」と罵っていた。あれほど思春期をアートに染まった私が、ある種の強烈な反動により、手の平を返したかのように「アートなんぞは社会の無駄、秩序の崩壊、青臭い幻想以外の何物でもなく、この世から真っ先に抹消されるべき存在である」とすら思っていたのだった。.....極端でひどいものである。
だが、20代後半から30才にかけて、突如人生の転機が訪れる。
私は山に入った。霊修行のため日本の聖地霊峰を廻る。
奈良の天河弁財天、吉野など。最後は富士で、ある修行をした。
人生最大の貴重な数年間だったといってもいい。全ての価値観が丸ごと変わり、見るもの触れるものや、”当たり前の事”が全部変わった。
街へ降りて来た時の私はゲッソリと痩せおち、髪も伸び放題だった。
この時期あたりから、世界の為に”自分というちっぽけな器が何かの役に立たないか”と漠然と考え始めた。
やがて40を過ぎたあたりから、あれほど嫌いだった舞踏をもう一度踊ろうと決意した本当の理由は何なのかは、今でも分からない。
別に分かりたくもないが、まずは自分のブレを修復する事が先決だったのだと思う。
土方巽の映像を見る度、書物を読む度、肉声のCDを聞く度、”言葉には出来ないけど実は単純なもの”を感じるのだ。
それは富士修行の時もそうだった。
単純。これ極意である。
そうして考えると、世界中の自称舞踏家にとって土方巽というものは、ある種の呪術なのだろうか。
崇めるか反発するかのどっちかで、無視という人にはお目にかかったことがない。
いずれにしてもこんな狭い世界なのに、舞踏というひとつのカテゴリーが何で世界で注目されるのかがさっぱり分からないのは本音だ。
今は迷いやブレがほとんど無い。
誰のどんな質問にも答えられる自信はある。答えられない時はカラダで密談するという方法を知った。
Live:Naohito Uchiyama & Dance:田仲ハル+東海林靖志+Kick
雪にも関わらず大勢のご来場






















↑bijo.....
photo by shimibo氏のフリッカー
http://www.flickr.com/photos/shimibo/4070041563/in/set-72157622721931866/
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